Tumblrrr.

“★ある日の事です。
私は、何もかにも上手くいかないのでイライラしてたのでヘルメットも付けないでバイクに乗って跳ばしていたらスピードメーターが時速70KMを指すのを見た時にカーフを曲がり切れずに車にあたり、翔ばされてトラックのシャーシーに右の頭が打つかってました。
手を見ると赤い血がべっとりと付いてました。
そして、ある病院に連れていかれたのでしたが、今の体の障害とその事故とは関係が全くありません。
たぶん、発信機はその怪我の手術の時に頭蓋骨に取り付けられたのだと思います。
そこの看護婦が手術中に「こんな手術ももう慣れたわね。」というのが聞こえたのを覚えてます。
それから、そうか学会に附けられ始めたのです。
25才に成る迄は其の事に気付きませんてした。
立川で1回痴漢をしたことがあります。
立川はその8月に引っ越して八王子の目白台に住んでました。
恐ろしいのはそうか学会の人が隣の部屋に住んでたという事です。
その住人は毎晩のごとく数人で喋ってる人達でその男達の話す声が不愉快で堪りませんでした。
そのようなことで私のスピーカーのボリウムは上がり放題でした。
つまり、私は「他人に迷惑を掛ける事によって自分のストレスを解消していたのではないか」と言われても何ら返す言葉もありませんが、どうしようもなく苛々したことは事実です。
紛れもなくこの対立によって、この現状があるのです。
ストレスの解消は他にもありました。
それは、前に述べたように痴漢でした。
毎日のようにラッシュの時間帯になると京王線に新宿駅から乗って女の尻を触りながら府中駅まで行って、又新宿に行ってはそれを繰返してばかりいたのです。
それと後は露出狂でした。
日暮時になるともそもそと沸いてきて、そこら中を歩き回ってチンポを帰宅途中のお嬢さんとか女子学生に見せ撒くるのです。
そんな行為を23才で大学をでるまで続けていました。
 就職してからは痴漢行為はやってませんでした。
デザイン会社を1ヵ月で首になった私は、インテリア会社に入りました。
しかし、その会社も仕事がハードだったので自分から止めてしまいました。
その止め方が卑怯な出勤拒否という手段によってなされたということで、又そうか学会に恨みを捷っていたのです。
そうです。そこの社長もそうか学会の人だったのです。
そこを止めてある建築設計事務所で働いていた私はロックのコンサート(ACDC)で知合った温子さんとの楽しい日々を過ごしていました。
そしてある日のこと私が丸ノ内線に乗っていて座席に座っていると女の子が入ってきて前に座りました。
何気なくしていると突然気分が良くなってきたので斉藤慶子のビキニ姿が載っているポスターを見てるとオルガスムスに達してしまったのです。
それからの私はその快感が忘れられなくなって毎晩のように電車の中や喫茶店で女の人のいる前でオルガスムスに浸るという衝動に刈られていたのです。
男というものは幾ら情感に優れててもどんなに可愛い人か目の前に居ようともそう簡単にオルガスムスを得られるものではありません。
それは明らかに電波の仕業なのです。
私は前に述べたように右の耳の上に恐らく取り付けられた発信機を追跡する電波によって制御されてます。
それは脳神経を作動させる電波信号と相手の肉声を聞くための音声電波と体の局部を増殖溶解(α線)・膨張収縮(±β線)・発熱除去(±γ線)する放射線電波に分けられます。
1年と3ヵ月程勤めていた建築事務所は賃金が低かったため止めてしまいました。
それから興業会社に入って会田さんと合ったのです。
この頃からそうか学会と興業会社の間に対立を生んでいたのです。
その理由はそうか学会が私の事を**興業のバーバリアン(原始人)と呼んでバカにしていたという事です。
勿論興業会社も黙っちゃ居ません。
この頃アパートの契約切り替え日が来たので港区のハイツ芝大門というビルの11階に引っ越しました。
そして翌年の7月にその興業会社を首になりました。
 この音声電波がはっきりと聞こえ始めたのは8月1日前後の夜のことです。
初めに女性の悲鳴がギャーッギャーと2回窓の向こうから聞こえてきました。
私は以前から強迫観念は持っていたので、あの時1番好きで身近な存在感のあった会田さんがひどい目に遇わされているのではないかと思って心配でした。
これは学生時代にコーポアトリエで隣の部屋にすんでいた人が嫌がらせにやっているのだという確信を持っていたので、次の日護身用にナイフを買ってそこに問い正にいきました。
しかし、そこには居なかったので彼らの当時の仲間が働いていたレストランに行って聞きましたが消息不明でした。
3日すぎても夜といわず昼といわずにこれは聞こえてくるので、会田さんの勤めていた池袋のPARCOに電話して彼女の無事を確認した後、埼玉の山奥の終着駅まで逃げて行ったのですが、それでもホワイトノイズに関係なく聞こえていたので、これは音声電波だと気付きました。
その内放射線によって私の体は侵されていくのです。
それ迄に脳の中でプチプチという音がしていたので多少はダメージがあったと思うのてすが、まず最初の夜にα線で性器を襲われました。
性器の奥がピクピクとしてきて何時も興奮させられていたので、又痴漢行為をする羽目になったのです。
そういう日が幾日か続いて今度は心臓もα線で襲われてしまいました。
心臓が圧迫されてその苦しさに絶え切れなくなって11階のその部屋から飛び降りようとしましたが、勇気がなかった為にできませんでした。
そういう日も幾日か続いて本当にどうしようもなくなってきたので、故郷である宮崎県に飛行機で帰りました。
私は正気を失っていたので今迄あった事を両親に打ち撒け、この苦しみを訴えていました。
しかし、両親は頭が狂ったのだと勘違いして精神病院(野崎病院)に入院させられました。
2人の看護人に羽交い締めにされて催眠剤を打たれたのです。
3ヵ月後の12月に正月ということで自宅へ帰らせて貰いましたが、このままだと精神分裂症で1生入院させられると思い、母のバッグから3万円盗み、東京へ戻りました。
すると又音声電波が激しくなり、それによってコントロールされ、痴漢行為ばかりしていましたが、心臓が痛くなったので、又里に帰らなければいけなくなる羽目になりました。
この時に家財道具をすべて引き上げました。
そして宮崎医科大学付属病院に週に1回通うことになりましたが、その時、貰ってた薬で自殺しようと1粒1粒飲んでいたら7~8個を飲んだ時、息なりフラッシュ(三浦和義が10分間気絶するといっていた)を炊かれ、後のことは覚えていませんが、目をさましたら医大病院の精神科の病棟でした。
音声電波が音無しくなったので、そこを数か月で退院した私は、もう1度東京へ行って働く事ができるように両親を説得しました。
再度上京したというのに、又音声電波が激しく聞こえてきました。
それにめげず某インテリア会社に就職して働いていましたが、電波信号と音声電波による行動と卑怯な発言によってその会社も10日間で首になりました。
そして雛人形屋さんでアルバイトをして食い繋いでいました。
私は情緒不安定になって半ば夢遊病者みたいになって下半身丸出しで7,11にパンを1個かってきたり東上線で痴漢行為をしたり女性のスカ-トを捲ったり散々なことばっかりしていました。
その挙句に警察に捕まりました。
その連絡を直ぐに聞いた両親は翌日に上京してきました。
そして以前として私を精神分裂症だと誤解していた父は、その時借りていたアパ-トを紹介した不動産屋が推薦した慶応大学の教授が知るそうか学会系の精神病院自曇堂病院に入るようにしました。
そこに入院して半年位して父が向かいにきました。
国に帰った私は宮崎医科大学で貰った精神安定剤他の薬を飲み続けていましたが、家にじっとして居られずに宮崎のインテリア会社と広告会社に務めたのだけれどどちらも1ヵ月と続きませんでした。
仕事が続かないのは全て電波信号のお陰なのです。
私は将来に悲観してガス管を開いてもう1度自殺しようとしましたが、死にきれずにガスの流入を5分で止めました。
ということで又医大の精神科に入ることになったのですが、立つことも出来ずに居たので重傷に見えたらしく、記念病院という重傷患者の為の病院に移されて、1年くらいして医大に戻りました。
つまり1酸化炭素中毒と勘違いされていたのです。
しかしこれは明らかに放射線の仕業なのです。
何故かといと音声電波がそういってたとしか言いようがないでしょう。
私は喋る事も歩く事も出来ません。
はっきり言って私1人ではそれを証明することは出来ないのです。
  信じられないことでしょうがこれが真実なのです。
つまりそうか学会の殺し屋の奴らが私が交通事故にあったのに託けて電波発信機を私の頭に埋め込み、痴漢行為をしていた私を反宗教的と決め付け放射性電波で毎日襲っているということです。
オウム真理教の被害者の坂本弁護士1家もこの放射性電波によって殺されたものと思われます。
γ線で狙えば消滅するので死体は残る訳はありません。
私は不勉強なので宗教的にはよく解りませんが、音声電波のいうことによればオウム真理教とはそうか学会派閥のそうか学会のことだそうです。
そこでお願いがあるのですが、オウム真理教を電波管理法違反その他によって告発したいのですが誰か私の力になってもらえないでしょうか。
オウム真理教の被害者団体の方々の連絡をお待ちしてますので、メ-ルを送って頂きたいのです。”
— 20年以上前のPC-VAN発とされる古文書を古いFDから発掘。